開創千六百年
那智山は、遠く1600年の昔、仁徳帝の御代(313~399)にインドの僧、裸形上人によって開基され上人が熊野浦に漂着して那智の滝にたどり着き、きびしい修行を重ねるうちに、観世音を感得したと伝えられています。
それからおよそ200年を経た推古天皇(593~628)の世に、堂宇が建立され、大和から生仏上人が入山して如意輪観世音を安置されました。
裸形上人開山ののち、役行者や、伝教、弘法、智証、叡豪、範俊らの高僧が相次いで法燈を守り続けたことにより、後世那智七先徳と尊敬を込めて称せられました。
かくして那智山は、神仏習合の一大修験道場を確立し、すべての人々があこがれ願う浄土を示現したのです。ところが明治の初期、宗教制度の変革にともない寺僧の支配権は奪われ、廃仏毀釈の嵐が荒れ狂って、貴重な寺宝は滅失し、由緒ある堂宇は破壊され、荒廃は目を覆うものがありました。しかし、永年の民族性に培われた信仰の根強さは、固く揺ぎもしませんでした。依然として熊野詣での巡礼道者は跡を絶たず、特に那智山は、観音霊場第一番札所とあって、復興奉讃の成果も著しいものがありました。
平成16年7月1日、「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコ世界文化遺産の指定を受け、今や名実ともに天下の大霊場である那智山は、観光施設の進展と交通の発達に恵まれ多くの参詣者が訪れています。
当ホームページは、那智山信仰の道標となることを願って公開した次第で、広く皆様の御高覧をいただければ幸いです。